昔話
梅雨明けは7月下旬で今年は雨がよく降るなあと感じている今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。梅雨も明ければ夏が来てそれはそれでつらいんですが、まあそうも言ってられないので。
札幌遠征の話はまた来週書きます。
読んでる人いなさそうですが。
今回は高校時代の経験則でも書こうと思いまして、タイトルが昔話になってます。
私の高校時代はバンド7割勉強2割その他1割みたいに生きてました。部活が軽音楽部でしたから必然的にそうなりました。
特にうちの部活は週6日で練習でした。これがだれるんですよ。
防音の音楽室でバンド練習したり、時にはスタジオ借りて練習したり校内演奏会したり大会出たりそこそこ忙しくしてました。
バイトも禁止でしたので、お金もなく楽器のお金は親頼みでなさけなくなるんです。
年頃ですし。
私は三年間ベースとしてバンドに在籍しましたが、途中諸事情でボーカルをやったら褒められちゃって調子乗って一年ボーカルも兼任してました。
軽音楽部に入部しようか悩むーという気の早い受験生がいるかわからないですが、経験談をもとに1年間の様子を書いていきます。
バンド活動しようと軽音楽部の門をたたく高校生は、はいってやり始める子が大多数の軽音楽部ですからできないが当たり前。できてるという子もうーん…。という子が多いのでそこまで気負わなくていいのが特徴です。極論ボーカルもすげー下手で聞いてらんないってやつがボーカルやってるバンドも私が現役当時ではありました。
私の学校の軽音楽部は仮入部制度があり、そこでバンドのイロハのいをまなびます。
ベースの持ち方や楽譜の読み方。弾き方やチューニングなど多岐にわたります。
楽器演奏で大事なのは基礎練習であり反復練習。地道な作業の繰り返しが楽器演奏の基礎なので苦手な私はほんとにつらかった。ベースは指がべろべろになったりすることもあります。それも勲章みたいでいい感じではあるのですが。
仮入部期間を終えると本入部として認められその場でバンドを結成します。ぼっちだった私は拾われて何とかバンドに参加できることとなりました。
それが終わり少し経つと楽器を買いに行きます。これは部活の時間に行ってました。
先輩たちと同期でお茶の水を闊歩し、自分に合う楽器を見つけるのです。
先ほども書いた通り大半がずぶの素人、まったくのド新人ですから楽器も何を基準に買うのかわかりません。
そのため先輩方が見繕ってくれるのですが、最初のキーワードは「色」なんです。
「君は何色が好き?」これはわが校のベース陣の決め台詞ですw
そこからメーカーさんや形、タイプなどを考慮し決定していきます。
5万くらいで一式を私は揃えました。
基礎練習を継続しながら期末テスト後に控える校内演奏会に向け楽曲練習します。
これは楽しい。ある程度できてきたらみんなで合わせてなお楽しい。私はこれ目当てなところが大きかったです。
スタジオを借りるときもあります。あんまりわたしは自分で取らなかったのですが、地元の方のスタジオは電話予約でした。都心はわかりません。
そんなこんなやってると校内演奏会当日。その代の人脈の広さで集客率は大幅に変わるある意味残酷な会なんです。
高校生ですから高校生の皆さんにわかるはやりの音楽をコピーして発表することが多いです。
上級生は、一年違うだけでえらくうまくてたまげたものです。しかもめっちゃ人いるし。
そんなこんなであと片付けして校内演奏会は終わりです。
そして地獄の夏休みに移行します。
毎日、自転車でカンカン照りのなかを疾走します。
そして8時間近く拘束されます。
かえって寝て、起きて学校行ってを夏休みの間も繰り返すわけです。
夏休みって何?と思いました。
夏休みの練習の主要目的は文化祭での演奏です。
夏休みの練習の出席状況次第で文化祭に参加できなくなるというめんどくささ付きでした。
練習したり、怖い話したり、誕生日祝ったり、遊んで怒られたり、練習したりして頑張ってました。
軽音楽部の校内最大の発表は文化祭です。本番が近くなるとがぜんやる気を出してきます。
やれても一年の我々は二日間で二曲がいいとこでした。
でも一般の方も来るので緊張しますし、あがり症ですのでこれが大変なもので。
これをクリアすると三年生が引退し、少し寂しいですが、新体制の部活になります。
そこからは校内演奏会がありますがそれ以外目立った用事がないので暇です。
ですが勉強すべきことと練習はあるのでそれを頑張り、来年、後輩にいいところを見せられるように頑張るわけです。
こんな感じです。
中学生の皆さんや軽音楽部ってどんなとこなんだろうと思う方々のお役に立てればと思います。
比較的、私が所属していたところは厳しいといいますか練習日数と部屋だけは多かったこともあり他校皆さんと環境が違います。参考です。
それではこの辺で。